potatoさん
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高輪ゲートウェイ駅周辺の再開発工事中に海の上を走る列車の遺跡が出土「本で見たやつと一緒だ」「このまま止めるべき」の声も
1872(明治5)年の国内初の鉄道開業時、東京湾の浅瀬に線路を敷設するため造られた「高輪築堤ちくてい」の遺構が、東京都港区の再開発現場から出土した。かつて「列車が海の上を走る」と東京名所に数えられたが、一帯の埋め立てで姿を消していた。遺構は断続的に約1.3キロメートルにわたり確認。保存状態も良好で、開業時の鉄道の様子や土木技術を知る貴重な手掛かりになりそうだ。(梅野光春)
1872(明治5)年の国内初の鉄道開業時、東京湾の浅瀬に線路を敷設するため造られた「高輪築堤(ちくてい)」の遺構が、東京都港区の再開発...
注目すべきは当時禁煙車があり、また、英国から輸入した車両にはトイレ付のものが一部ありました。1880年(明治13年)アメリカで製造された車両の北海道官営幌内鉄道・開拓使用客車にはトイレが付いてたようです。しかし、トイレ付の車両は少なく、東京日日新聞1873年(明治6年4月)の記事で「荒物売りの増沢政吉氏が横浜駅到着前にトイレをもようし、列車の窓から小用をしたのを鉄道員にとがめられ、東京裁判所で10円の罰金を科せらた」とあり、当時としては高額の罰金を課せられたようです。一般旅客向けの客車にトイレが設置された最初は、山陽鉄道が1888年(明治21年)にイギリスから輸入した上等車で、官設鉄道では1889年の東海道本線全線開通時でした。明治末、東京に女性専用車両があったそうです。
月岡芳年: Triptych: Railway Line at Takanawa (Takanawa tetsudô no zu), published by Maruya Jimpachi, Meiji period, tenth month of 1871 - ハーバード大学
みんなの声
高輪ゲートウェイ駅の再開発工事ってトレンド見たら海上列車の跡出土とか書いてあって謎だったけど、調べてみたら想像以上に海上列車だった https://t.co/MAp341u1RS
東京新聞の記事にある水路跡はここからでは見えず。
あるいは京浜東北北行の高架上からなら見えるかもしれない
高輪ガード下。
桁下が非常に低くて有名だったガードだけど、実はこれ水路の名残。
京浜東北線が走ってた部分がゲートウェイ駅移設で無くなった分開けて見えて驚く。
これから品川寄りが今回の遺跡の水路跡部分だな(田町方面にも続いてはいる) https://t.co/OaHNFVbDDN
@SEKAIITIRINGO > 遺構は断続的に約1.3キロメートルにわたり確認。
全貌が知りたいですね。
・【独自】「海の上を走る列車」の跡 高輪ゲートウェイ駅の再開発工事で出土:東京新聞
2020年11月22日 06時00分
t.co/CXYwCWNxY3
@SEKAIITIRINGO このまま止めるべき
高輪ゲートウェイがトレンドに入ってる🤔
高輪ゲートウェイ辺りで埋め立て前の東海道線築堤が発見されたとの事で、鉄道青年の記事を再掲 t.co/6dDrk8hvng
明治3年頃民部省土木局鉄道掛による京浜間鉄道敷設のための測量にあたる士族は、両刀手挟んで測量を行っていたという興味深い記事。
髷を結って陣笠、羽織袴(野袴?)、大小で測量、伊能忠敬の測量と同じような感じになるのかしら?
なにせ、どなたか再現されたら是非見てみたいもの。 https://t.co/02A0CrEcNt
高輪ゲートウェイ周辺再開発で線路「高輪築堤」の跡が見つかった件、歌川らが描いていた奇跡的な風景が本当にあったんだなぁ、と改めて感激するよね。
t.co/QO3027loWG