ringoさん
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【炎上】ツイフェミ達、今度は「おかんアート」に難癖「おかんアートという名称にモヤモヤ」
「おかんアート」と、前に問題になった「お母さん食堂」って似てるな。
主婦の手芸も、お母さんが家庭で作る料理もプライスレスでこの上なく素晴らしいものだということは分かるけど、それを全国まとめて称揚する時、それを作り出した一人一人の女性の個性は無視され、手柄は「発見者」のものになる
渋谷公園通りギャラリーでおかんアートの展示を見てきた。一般のお母さんたちが手慰みで作った作品たちだ。見ていて辛くなってきた。自由奔放さと本人が意識できない不自由さ。そして「発見」されなければ価値づけもされない現実。折り合いがつかない。もっと考え続ける必要がある。 https://t.co/KoVYI0NseT
毛糸や粘土やはぎれやチラシなどで作られる女性たちの作品が、社会からは暇潰しとされ見向きもされなかった時間が長かったから、「オカンアート」として注目されて研究や分析が進むのは意義があると思うけど、だれかに「みいだされる」ことで価値が生まれた、みたいな流れになってほしくないと思うんだ
女性たちのキルト作品の展示会に行った時、恐らく80代のご婦人が話していたのが聞こえてきたの。「私にはこれしかなかったの。夫が許してくれたのはキルトだけだったから」って。壁一面のキルトは膨大なエネルギーと時間と言葉にできない思いが形になったものだと思った。
これしか許されなかった。それでもお金を払わずとも手に入れられる素材と、家事の合間の細切れの時間で没頭して楽しんで作り上げた。そういったものたちがどうかエンタメとして消費されたり、だれかの道具になったりしませんようにと思う。
私の母も、今の私の歳の頃にチラシでカゴを編んでみたりしていた(あの母が!)(物足りなそうだった)。居間にはだれかが粘土とビール瓶で作った美しいドールが飾られていた。「女性はなるべくお金のかからないもので創作を楽しむ」それが当然・美徳とされた時代と場所の空気を吸って私は育ったよ。
"民藝は地域性が不可欠なのに対し、「おかん」は全国どこでも一緒"
"全国・全世界、どこでも「おかん」は「おかん」である"
あっけらかんとした言葉に胸が詰まる。子を産んだ、もしくは歳を重ねた女を「おかん」として「一緒」の存在にしているのは社会ではないか? t.co/0Gprb5b6qq
このツリーに書いた私の母はまさに存在が「おかん」に集約され続けることに苦しんでいた。それでも交流や達成感を求めてカゴ作りの集まりに参加してた。そんな背景を知ってるから「おかんはおかんだから作るものもみんな一緒、それがおかんアート」的なフレーズは浅薄に感じてしまう。#おかんアート t.co/fcLBglpnq1
「民芸は風土が生み出すもの。でも、おかんアートは北海道から鹿児島まで、さらに世界のいろんな場所でも、みんなが同じものをつくってる。地域性がないこと。だからこそひとりずつの、作り手のセンスがすべて。それがおかんアート。全国・全世界、どこでも「おかん」は「おかん」であるのと同じこと」
これ何回読んでもどうしても意味がわからない。そして読むほどに胸が詰まる。最後の一文がトドメを刺してくる感じ。うう、苦しい…
t.co/3efJixTGnB
「おかんアート」と括られている作品の持つユーモラスさをユーモラスに取り上げることや楽しみ愛でることに何ら異論はないのだけど、作り手について触れる時には然るべき敬意が保たれていてほしいと思う。
「おかんアート」(おとんアートも)と括った上で考察を深めて紹介する試みには10年以上の歴史があって、このレポを読むととても丁寧に取り上げられていたことがわかるよ。(「ぼけぼー」は私も持ってる!)「おかんは全国どこでも一緒」みたいなフレーズとはむしろ対照的。
t.co/8vuhe4QNRW
だから今回の展示に使われている『全国・全世界、どこでも「おかん」は「おかん」』のようなフレーズに違和感を感じるし、ここにきてどうしてそうなった?って思っている。
「Museum of Mom's Art ニッポン国おかんアート村」でのおかんアートの定義の仕方や取り扱い方にまだ気になることや疑問を感じる点がいくつかあるけどおかんアートと括られるものたちのことはとても好きだし展示を楽しみたい人たちの気持ちに水を差すようなことをしたいわけでもなくジレンマ陥りがち
@kyoichi_tsuzuki 「おかあさん」「母親」「おかん」と女性を括り、その上で「母なるものは母なるものだから◯◯だ」と論を進めることは、それがポジティブな意図だとしても、名を匿名化し個を透明化する過程そのものが抑圧的であると私は思っています。
ここで何を懸念してるかというと、例えば「おかんの作るアレ」みたいなガチャガチャができたり、当事者以外がキャッチーにプロデュースして量産したおかんアート風のものが売られる的なこと(まだそれは起きていないけど起きても楽しく受け入れられるのだろうことも含めて)。 t.co/fcLBglpnq1
それは善悪みたいに割り切ってジャッジできることではないし、マーケットは三方・四方良しの良い形をとることができるからこそ、一気にそこまで行ってほしくないなと思う。
「鑑賞するものではなく、触って、身につけて、使って楽しむもの。それがおかんアート。作品ではなく、日々の暮らしのひとかけらとして」については、「ではなく」じゃなくて「であり」ではいけないのか、と考えてしまうよ。これは小さなことなのかな。(現地では作品はさわれるのだろうか?)
会場に行って他のテキストを読み込んだりキュレーターの話を聞いたりすれば真意がわかるということなら、この目立つ形でシンプルな言葉で掲げられたテキストはなんなのだろうと思ってしまうし…。
「作品ではない」わけはなくて、作者が作品ではないと思っていたとしても「これは誰々の作品です」と紹介するのが展示というものであると思うので。
さっき触れた記名については会場に行かないとわからないので一度消して、また行ってから考えようと思う。公式サイトと配布用パンフの作品画像には記名があったので、ネガティブに取りがちになっていたかもしれないと思い直した。自分のよくないところ。渋谷いつ行けるかな。
t.co/TQLClL8jab
@takinamiyukari 瀧波ユカリ先生のおかんアート展に対する激しい怒り、糾弾に賛同いたします。素朴さ、温もり、ユーモアなどの印象要素でサブカルのおもしろがりたちが巧妙に隠蔽しようとしていますが、この作品群は家父長制の中、家事労働で不当に搾取され続けた女性たちの哀しみの象徴として捉えられるべきです
@jayjaymornintea こんにちは。私はユーモラスな視点から「おかんアート」なるものを紹介することには異論はないし楽しむことも素晴らしいと思うのですが、「おかん」とされる人たちそれぞれの個としての存在や背景を、紹介する言葉ひとつふたつの使い方などで軽んじてしまうことのないようにしてほしいと願っています。
みんなの声
おかんアート展面白そう!と思ったけど、ツイフェミども今度はおかんアートって呼び方に噛み付いてるのか…私のようなおかんアートを作る側がその呼び方を気に入って使ってるんだが?
おかんアートにケチつけてるの
そうやってなにかしら殴らないと〇ぬの?
フェミって
おかんアート、取り上げられた人は喜んでると思うし怒ってないと思う。きっと主催者側に対して感謝もしてるかもしれない。それを人々が自分が抱えている複雑な思いをそこに向けてアンタッチャブルなものにしてしまったら勿体無いんだよな。主催者側はうまいことやって発展させてほしい。
レベルのモノについては今のハンドメイドと同じだと思う。
違和感無く企画するとすれば、雛型の発生源を明示して、雛型ままのモノを展示してこそ…かな。
よりクリエイティブな作品を除外して雛型通りのモノのみを「昭和レトロおかんアート」ってやればだいぶ違ったんじゃないかな。
それとはべつにおかんアートって名前がいいかどうかは別ではあると思うんだけども
なんでもかんでもおかんアート呼びは、マスコットをなんでもかんでもゆるキャラ呼びするようになったのに似てるかも。
おかんアートという言葉…じわじわくる
そしてハートヒット(心当たり)があり過ぎる我ww
おかんアート、なんかモヤモヤするよねぇ。何ちゅうか、ゆるキャラ扱いでしょ。ほっこりするとか言いながら内心バカにしてんでしょと思ってしまう。弱い者を愛でるアレを感じる。