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【訃報】林家こん平さん死去 77歳 死因は誤嚥性肺炎 多発性硬化症を患っていた
日テレ系「笑点」の解答者として知られる落語家の林家こん平(本名・笠井光男)さんが17日に死去した。77歳。葬儀・告別式は19日に近親者で済ませた。2005年7月に、難病の「多発性硬化症(MS)」であることを公表。一線からは退いたものの、一門の落語会や落語家仲間による卓球サークル「らくご卓球クラブ」では元気な姿を見せていた。
◆林家 こん平(はやしや・こんぺい)本名・笠井光男。1943年3月12日、新潟県生まれ。中学卒業後に上京し、初代林家三平に入門。62年11月、二つ目昇進。66年5月から日テレ系「笑点」のメンバーに。72年9月、真打ち昇進。80年、初代三平の死去後は一門を引き継ぐ。2004年9月、「笑点」を降板。05年7月、多発性硬化症(MS)であることを公表。
林家こん平さんプロフィール
林家 こん平(はやしや こんぺい、本名:笠井かさい 光男みつお、1943年3月12日 -2020年12月17日 )は日本の落語家。新潟県刈羽郡千谷沢村(後の小国町、現:長岡市[1]小国町千谷沢)[2]。落語協会所属。同協会理事などを歴任するが、後述の病気もあり2006年4月に相談役となる。
闘病
2004年8月、声帯を患い入院。この入院は長引き、番組開始以来降板期間を除きほぼ無欠勤で出演し続けていた『笑点』も、2004年9月5日の放送を最後に初めて数回に渡って番組を休業することになり[注 5]、こん平の位置は座布団が積まれたまま空席となった。同年12月26日の放送から、こん平の弟子で若手大喜利のメンバーだった林家たい平が代役で出演する事になる。
2005年5月22日に退院。当初「軽い脳梗塞も患っていた」と週刊誌で報道されたが、その後、同年3月に国立精神・神経センターの医師から多発性硬化症と診断されていたことを公表。退院後も通院しながらリハビリを行っている。同年9月には笑点40周年記念本の撮影に参加し、他メンバーとは1年ぶりとなる顔合わせを実現している[6]。
みんなの声
こん平さん
こん平さん亡くなってしまったの……
めちゃくちゃショックだ
えっこん平さん亡くなったの
え、こん平さんお亡くなりに?
えっこん平さん
林家こん平さんお亡くなりになったの……!長い間ありがとうございました。さみしいです。
こん平さん…
こん平師匠…。お疲れ様でした。
林家こん平さんお亡くなりに。
合掌。
こん平師匠亡くなったんだ。
ご冥福をお祈りします。
え!林家こん平さん亡くなったん😭😭😭😭
こん平さん…
こん平師匠が亡くなっただと…
こん平さん亡くなられてたんだ……悲しい……
こん平師匠…
御冥福をお祈りします。
え、こん平師匠亡くなったの