harumaruさん
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舞踏家の大野慶人さんが死去 81歳
大野慶人さん(おおの・よしと=舞踏家)8日、敗血症で死去、81歳。葬儀は近親者で営む。喪主は妻悦子(えつこ)さん。後日、お別れの会を開く予定。父は舞踏家の故大野一雄さん。
大野 慶人(おおの よしと、1938年(昭和13年)7月15日 - 2020年1月8日)は日本の舞踏家。同じく舞踏家である大野一雄の次男。1986年以降、大野一雄の全作品を演出している。
悼む声
大野慶人さんが亡くなられたと訃報が入った。思い返してみると慶人さんは人生の大先輩で、本来ならば雲の上の存在の筈なのに、僕の誘いをひとつも断ったことは無かった。僕などを本気で相手にしてくださった。慶人さんに賜った数々の御厚情に深く感謝すると共に、ご冥福を心よりお祈りいたします。 https://t.co/wogJwIVa9S
大野慶人さんの訃報。故土方巽の「禁色」で少年役を演じ、舞踏の創始に立ち会った歴史的ダンサー。
肖像を1999年に制作したが、2017年に舞踏研究所より不意に「描きにいらしたらいかがでしょう」とのお言葉をいただき再度描いた。
何者でもなかった私に、機会をくれた懐の深さ。冥福をお祈りします。 https://t.co/kypl14djwK
舞踊家の大野慶人さんが亡くなられたとのこと。もう一度お会いしたかった...。わたしは最後は神戸アートヴィレッジセンターでのワークショップで。少しお話もさせてもらった。きっと天上でお父様と一緒に踊られていることでしょう。t.co/bzcNfcvSiw
@butohart 大野慶人さんの訃報。四半世紀ほど前、わたしが横浜でフリージャズ奏者とのコラボレで詩の朗読をしたとき、慶人さんに「あなたは、誰に向かって語っていますか」と叱咤され「詩は大切です。これから詩はもっともっと大切になります」と激励していただいた。その言葉はいまも胸に響いている。合掌。 https://t.co/vrgdMhE83t
今朝の新聞で舞踏家の大野慶人さんが亡くなったことを知った。大野一雄の舞台をよく見に行っていたとき、慶人さんも一緒に演じていたことを思い出した。大野一雄の踊りは柔らかく、慶人の踊りは逞しかった。 https://t.co/4byPppoNEz
【butoh】
追悼!大野慶人さん。
本当にお世話になりました。
いろいろなことを教えていただきました。
独自の舞踏を追求されました。
感謝とともに合掌。
この数年の写真で思い出を偲びます。 https://t.co/fRpJvxEDIb
大野慶人さん。
2015年に京都芸術センターでお会い出来ました。
この日はとても幸福でした🤲⭐️💞
どうもありがとうございました。 https://t.co/jLqrhW8GiC
@butohart 大野慶人さん。美しい人だった。とことんやさしい人だった。横浜の「大野一雄舞踊研究所」では、父君の大野一雄先生が亡くなられてからも、毎年一雄先生の誕生会が開かれ、お弟子さんたちも慶人さんも踊った。新しい人も来た。出会いの場だった。2014-10-26の誕生会での慶人さん。 https://t.co/7nqI4aYXO9
大野慶人さんの訃報。謹んでご冥福をお祈りいたします。 t.co/kL1oHkQnD1
大野慶人氏没す 享年81歳
合 掌
大野慶人さん死去:朝日新聞デジタル t.co/Lvi3NIJQSJ
ご冥福お祈り申し上げます。
大野慶人が!
私が舞踏をはじめる1番初めのきっかけでもあった大野慶人さんの訃報
なんと……大野慶人さん死去:朝日新聞デジタル t.co/6ags4gjB11
大野慶人さんが亡くなられました。お会いしたのは数年前になりますが、毅然とした佇まいは今でも焼き付いています。寂しいです。
t.co/N8zuwyH2MJ
大野慶人さん。ご冥福をお祈りします。
アノーニ(当時はアントニー、Antony and the Johnsons)と共演した2010年のアントニー&ジ・オーノズ公演は、人生で最も感動した公演でした。
いつだったか…踊りをみて頂き「赤い褌で踊って下さい」と言われたことがありました。踊りましょう。大野慶人さん。合掌。
t.co/Syjfz3cc3O
昔、カメラマンをしていた僕の友人 山内さんが撮った大野慶人さんの舞踏の写真が朝日新聞に掲載されたことがありました。
もう15年ほど前の記憶。
ご冥福をお祈りします。
t.co/EAq50qBcQb
もう10年近く前、草月ホールで観たAntony(Anohni)と大野慶人の共演「魂の糧」。そのパンフレットで読んだ、「完新世の聖と俗/泣いている女陰のキリスト」と題したAntonyの文章が忘れられない。
t.co/p1esSbg5wE
大野慶人さん安らかに。私は一度だけ、大野一雄舞踏研究所で、大野慶人さんから稽古を受けたことがあります。あの時はまだ大野一雄さんも生きていらしたはず。帽子をかぶって踊る、膝にティッシュを挟んで踊るなどのワークが印象的でした。稽古のあとのお茶会も楽しかった思い出があります。
あーあ。今までやってきた仕事の中で唯一自慢に思えるのは、大野慶人さんをエレベーターに乗せたことだけです。一度だけ、部屋の端っこからでも踊る姿を生で見れて光栄だった。
大野慶人さんもお亡くなりになられたのか、、、。
20年以上前に、大野一雄が京都精華大でエルヴィス・プレスリーで踊った。花を一輪持って。感動的な舞台。慶人さんとのお二人の踊りも素晴らしかった。最後、観客が舞台に花を投げ入れた。いま思い出しても涙する舞台。
合掌。
大野慶人さん死去:朝日新聞デジタル t.co/lXlqPJIgz2
大野一雄さんの息子さんであり舞踏家の大野慶人さんが!
大野慶人さん死去:朝日新聞デジタル t.co/xtA2up3Dxw
今朝通勤する電車で「shy」のWさんにお会いして、Wさんから大野慶人さんの訃報をお聴きした。
大野さんの中には、例えば室伏鴻さんに通じるような、「暗黒舞踏」とかを超えようとする強烈な意思があったのだと思う。わたしはあまり慶人さんの公演を観る機会に恵まれなかったけれども、「追悼」。
大野慶人さんの訃報。ポレポレで毎年開催している大野一雄追悼上映会での、一雄さんの指人形と一緒に踊る慶人さんの、あの光景を思い出すだけで、今も割れんばかりの拍手が聞こえてきます。あんな幸せな劇場空間を僕は知りません。この感謝の気持ちは言葉にできません。いつか別の形で御礼を言えたら。